国宝・重要文化財(建造物)沼名前神社

登録年月日:1953.11.14

国の重要文化財に指定されている沼名前神社能舞台

かつては組立式で、侍たちの娯楽のため戦場に携行していた

細部まで精緻な彫り物が施されている

1738年に固定式に。部材に組立用の番号や符号が残っている

普段は板で覆われている。1月や7月の能舞台では一般に公開

鏡板(背景部分)には松と竹が描かれていたが、今は残っていない

沼名前神社のお手火神事は、日本三大火祭りの一つにも数えられる

海上安全を司る神様・大綿津見命や須佐之男命を祀る本殿

福山市指定有形民俗文化財の力石。港の労働者の力比べに使われた

コメント

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日本神話で特に海を司る神様である大綿津見命や須佐之男命をご祭神としており、古くからこの港町で海路の安全を見守ってきた神社です。 市の重要文化財に指定されている「力石」は、主に1600年代から1800年代にかけて、鞆港で働く仲仕(なかし:荷物運びの人夫)がお祭りの時などに力比べに使い、奉納したものです。海上の安全祈願も込められた大切な文化財なので、うまく持ち上げることができたら、そっと地面に戻してくださいね。

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解説

国の重要文化財に指定されている沼名前神社の能舞台は、福山藩初代藩主の水野勝成が当地に赴任して福山城を築城した際、着工前年の1619年に廃城となった京都の伏見城内にあった伏見櫓とともに、幕府から拝領しました。伏見城は、関白となって天皇に代わり政治を行った豊臣秀吉が住んでいた城です。 この能舞台は部下の将兵の慰安用に戦場に持参できるよう、移動可能な組み立て式でした。当初は福山城内に移されたと伝わっていますが、その後1650年代に勝成の孫にあたる第3代藩主・勝貞の時代に沼名前神社に寄進されました。さらに1738年に、現在のような固定式とされたそうです。 当初組立式だったため、各部材に番号や符号が付けられています。屋根は「框(かこい)組み」という、木枠に板をはめ込んだようなパネル式の構造で、木材を組み合わせる部分も「枘(ほぞ)差し」というパズルのような構造です。 背景にあたる鏡板は表面が剥がれている部分もありますが、当初描かれた松と竹(おめでたい意味を持つ)が残っています。

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文化財情報

【時間】

8:00-17:00

【定休日】

-

【料金】

-

【外部リンク】

https://tomo-gionsan.com/

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